クリスマスの心で平和を
15年12月01日(火)
秋 山 徹
2015年目のクリスマス。世界の年月は、主イエス・キリストが生まれた年からADはアンノ・ドミノ(「主の年」という意味のラテン語)何年、キリストが生まれるまで何年(BC “Before Christ”)という数え方をします。富士見幼稚園の子どもたちにとって、また、保護者の方々にとっても、教会付属の幼稚園でクリスマスを経験することはまねごとのクリスマスではない本当のクリスマスを経験する特別な時です。「クリスマス」とは、「キリストのミサ」の意味で、主イエス・キリストがこの世に来られたことを感謝して祝う「礼拝」だからです。この礼拝で、幼稚園の子どもたちは長い教会の歴史にならって、聖書に書かれている主イエス・降誕の情景を再現するページェントによって思い起こします。今年も、もうページェントの練習が始まっていて、子どもたちの心を2015年前の天からの不思議な出来事に合わせ、あの飼い葉おけに眠る幼子のイエス様によって、神さまのわたしたち一人ひとり向けられている深いみ思いを心に刻みます。
毎年繰り返されるクリスマスの行事ですが、その年ごとに、この世界に真のクリスマスが来ますようにとの祈りとともに、それとはほど遠い現実に直面させられます。今年も、イスラム国(IS)の支配するシリアから逃れて危険な海を渡り、あるいは何千キロもの陸路を歩いて、ヨーロッパの国々に殺到する何百万人もの難民の姿や、シナイ半島のイスラム国のミサイルによって撃ち落とされたロシアの旅客機のこと、パリで劇場やサッカースタジアムを襲った同時多発テロによって130人もの人々が殺され、さらに多くの人が負傷しているニュース、それに続く報復の爆撃のニュースと、立て続けに怒りと憎しみが世界にエスカレートしてゆく状況の中でクリスマスを迎えます。まるで悪魔に操られているかのように、国と社会が理性を失い人間であることをやめて狂気の支配に身を任せたような混沌に陥っている有様です。
この混沌と闇が支配するような世界に一片の光を投じるニュースを見ました。「テロリストへ、憎しみという贈り物はあげない」と、パリ同時多発テロで妻を亡くしたフランスのジャーナリストアントワーヌ・レリスという人がフェイスブックに流した文章が世界の多くの人々の感動を呼び覚ましているというニュースです。
「君たちに私の憎しみはあげない。金曜日の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。わたしの最愛の人であり、息子の母親だった。でも君たちを憎むつもりはない。君たちが誰かかも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは、神の名において無差別な殺戮をした。もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となっているだろう。だから、決して君たちに憎しみという贈り物をあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる…。』生後17か月の男の子を残して無残にもテロリストの銃弾によって絶たれてしまった妻の死から、このようなメッセージを発信しているのです。狂気ではなく人間の精神が生きているその心に触れる思いがします。悲しみと怒りを愛に変える力、向けられた憎しみと暴力を和解と平和に変える力が生きているのを感じます。クリスマスの出来事に真に心を合わせるのはこのような深みからでしょう。
上尾富士見幼稚園 えんだより 2015年12月号